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そう名付けられた地上約12メートルの高さの空中回廊で原爆ドームと広島市民球場を結びます。この高さで繋げば、球場一階の最上部にある周回通 路から、そのまま原爆ドームをぐるりと回る空中回廊が実現します。

昭和37年1月生まれ、牛田小-牛田中-基町高校-日本体育大学卒。専門競技は硬式野球。大学では運動生理学専攻。大卒後、広島県山県郡(当時)の中学校で保健体育常勤講師を経験。その後、地元情報誌に勤務し編集長、転職しスポーツニッポン新聞大阪本社(当時)で広島支局勤務後、サッカー日本代表のドーハの悲劇やアトランタ五輪取材。96年、中国放送入社。スポーツ番組制作やスポーツ中継、報道に関わり、月~金夕方ニュースのスポーツコーナーキャスターも担当。2004年よりスポーツコミュニケーションズ・ウエスト代表・福山大学経済学部非常勤講師。
My Heroの憂鬱
2012年04月30日更新
プレーボールの声を聴く前に勝負は決まっていた。雨天の影響で試合開始は33分間ずれ込んだ。驚くべきことに先発のマエケンは「試合が始まることを知らされていなかった」。
この3連戦の初戦にあった「サファテ騒動」は、前日の「ルーキー完封勝利先送り」に続いてとうとうエースのマウンドにまで影響を及ぼした。首脳陣の連携不足が、4月月間MVPを狙う3連勝中の右腕の立ち上がりを困難なものにした。
雨が降る中、メンバー交換が行われ三塁ベンチ前でヤクルトナインが素振りを始めた。30分以上ベンチで待たされながらその様子には余裕がうかがえた。
一方の一塁ベンチ前。登場曲の「You’re my Hero」が流れ初め始めてもしばらくマエケンの姿はなかった。無人のマウンドに曲が包み込みざわめくスタンド…。
やっと出てきたマエケンはベルトを締め直し、明らかにバタついていた。一度作った肩は冷えてしまい、作り直す時間もなかったという。マウンドに向かう前、白濱と短いやりとりの中でそのことを伝えた。
それでも一、二回を3人で片づけた。三回には先頭の畠山に四球を与えたが二死二塁になって田中浩をアウトロー147キロで見逃し三振に仕留めた。四回も3者凡退。だが、スパイクの土を落としながら、節目で長い間を取りながらの投球にはいつものリズムは見られなかった。
「打たれるのが嫌で力を入れ過ぎ、ペース配分がうまくいかなかった」ことは傍目にも明らかだった。先制点を許せばその時点で勝てる可能性は限りなくゼロ…。前回登板の甲子園で味方の援護があったのも八回だった。マエケンも人の子。準備不足の中、「力を入れ過ぎ」になるのも当然だった




